エッフェル塔建設小史


TECHNOLOG
エッフェル塔建設小史

「Exposition universelle de 1900」 『Wikipedia』「Exposition universelle de 1900」掲載画像2024年9月11日
「Exposition universelle de 1900」
『Wikipedia』「Exposition universelle de 1900」掲載画像2014年3月31日

 19世紀末、欧米において、1,000f(約300m)を越える高層建造物の計画案が提案されていたが、当時ではまだ実現していなかった。その頃、世界一の高さを誇った高層建造物は、米のワシントン記念塔(計画高さ:183m・石造)であったが、建造に十数年費やして、その間地盤沈下に悩まされ、実際に完成した高さは、169mであった。
 技術者・ギュスターヴ・エッフェルは、1884年9月に、エッフェルと2名の技術者連名で、「高さ300mを越える鉄柱塔建設に関する新案特許」を登録していた。

エッフェル塔の主要エンジニアの一人モーリス・ケクランによる設計図
『Wikipedia』
Maurice Koechlin, Émile Nouguier – http://www.beobachter.ch/fileadmin/dateien/bilder-editionen/2009/26_09/wahrzeichen_plan.jpg
Blueprint of the Eiffel Tower by one of its main engineers, Maurice Koechlin (ca. 1884). Authorization given by Koechlin Family

 1886年5月に、「1889年万国博建築コンクールの条件に関する法令」が発布され、万国博選考委員会は、107件の応募作品の中からエッフェル案を最優秀作品に決定している。
 1887年1月、行政とエッフェルとの間で成立した「300mの鉄塔建設に関する協定」の概要は以下の通りである。
  ① パリ万博開幕(1889年5月5日)までに、高さ300mの鉄塔建設を完成させること。
  ② パリ市は、総工費750万フランの内、20%の150万フランを支払う。
  ③ 残りの80%(600万フラン)は、20年間の塔の営業収入権で賄う。
[エッフェル塔は、万国博期間の半年間で600万フラン以上の営業収入を上げた。]

 そのエッフェル塔が万国博覧会の開幕に向けて建設が始まった当初は、パリの美観を損なうとして芸術家たちの猛反対があったことは有名なことである。反対運動の著名なものは、1887年1月28日にエッフェル塔建設が開始された直後の2月14日付『ル・タン』紙に発表された「芸術家の抗議文」には、フランスの多くの著名人が名を連ねていた。抗議文の主旨は、『我々はフランスの歴史と芸術の名にいて、首都の真ん中に無用で醜悪な塔を建てることに断固反対する。パリは、世界に比類ない美しい街であり、フランスの魂はこの威厳ある石造りの町並みの中でこそ輝く。エンジニアの金儲けのための奇抜な空想でパリの街を冒涜してはならない。エッフェル塔は、パリの恥である。』

『Wikipedia』Caricature de Gustave Eiffel parue suite à la protestion des artistes. Publiée dans ”Le Temps”, le 14 février 1887,


 ただし、関係書籍で調べてみると、この抗議文が掲載された同じ日の『ル・タン』紙には、エッフェルの筆による反論もほぼ同じ分量で掲載されている。その主旨は、『エンジニアは、建設の耐久性を気にして優美なものはつくらないとお考えではないだろうか?私は、塔は独自の美しさがあると思う。塔の4つの稜線は、頂上に行くに従って細くなっており、力強い美しさが感じられるはずだ。塔を実際に見てから公正な判断をして頂きたい。』と述べている。当時のメディアの姿勢としては、公平なスタンスで報道していたことになる。

結果的には、著名人による反対運動はエッフェル塔の建設工程に大きな影響を及ぼすことなく、ほぼ予定通りの2年2ケ月後に完成(1889年3月31日)し、約1ケ月後の1889年5月5日にパリ万国博覧会が開幕している。
ちなみに、「エッフェル塔が嫌いなやつは、、エッフェル塔にゆけ」という言葉があるそうな。パリの景観をぶち壊すものという思いから、醜悪な鉄の柱としてエッフェル塔を毛嫌いしていた作家のモーパッサンは、塔が完成すると塔内にあるレストランに足繁く通ったという。レストランで食事するモーパッサンに新聞記者が「先生は、エッフェル塔がお嫌いなのでは?」と問いかけると、モーパッサンは「ここでは塔の姿を見なくてすむからネ。」と答えたとか。
 現在では、エッフェル塔は、パリの景観にすっかりなじみ、芸術の都を象徴する存在となった。技術者・ギュスターヴ・エッフェルの美意識の勝利といえる。

坂本 良髙
技術営業部 顧問

一級建築士
技術士(建設部門)
一級建築施工管理技士
コンクリート主任技師
京都府木造住宅耐震診断士

  • 山口県生まれ
  • 京都競馬場の建設や大阪城天守閣「平成の大改修」に携わっていた。
  • オーストラリアなど海外旅行にも出かけ、日本酒よりもワイン好き!
  • 運動不足の解消のために、週一回のペースでシニア健康ボーリングに通い平均スコアは150点辺り、たまに200点を超えるとディナーに出かけます。
  • 放送大学に14年間通って、6コースすべて卒業する行動派!

 住まいのお困りごとは、なんでもお気軽にご相談ください。

「Exposition universelle de 1900」 『Wikipedia』「Exposition universelle de 1900」掲載画像2024年9月11日

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